「ちりめん」織り機
鹿の子織りは、二十世紀初頭、精緻で独特な織り柄と風合いの絹織物「ちりめん」として海を渡り、いち早く当時のヨーロッパ、とりわけパリの上級階級の人々や芸術家たちを熱狂させました。
ジャポニズム・ブームを引き起こすきっかけともなった、日本の歴史的な伝統工芸品であり、貴重な文化財なのです。
織上った「鹿の子織」精練前
歴史的絹織物である「鹿の子織り」の織元も、今では大正から昭和初期に“縮緬街道”として栄えた、京都の丹後に一軒だけとなり、専用の織り機もただ一台だけが残るだけとなり、まさに「幻の絹織物」といえます。
精練(湯通し)工場内部
精練の工程でできる「シボ」
鹿の子織りは1日に約10メートルほどしか織れず、更に織り上がった生地は「精練」という湯通しの仕上げ工程で、織り上がり丈の三分の一に収縮してしまうので、結局1日に3メートルほどの生地しかできません。